父の海外駐在に伴い、スペインで暮らした6年間。国際電話会社の研究員であった父。日本でずっと研究所勤務だったため、このマドリッド行きは父にとっても、家族にとっても晴天の霹靂でした。
バルセロナでのオリンピックを控えていた時期でした。駐在員は電気関係のエンジニアがいいだろうという会社の方針だったようです。私が音大、弟は高校に入ってすぐの時期でした。
もう大学生なので、そのまま日本に残って勉強を続けるという選択肢もありました。海外へのあこがれ、留学の希望も持ったことのない私。スペインといえば、闘牛、フラメンコ‥くらいの知識しかなかったけれど、「まぁヨーロッパの音楽に触れてこよう。家族が一緒だし‥」というゆる〜い思いで私も行くことを決めました。
イヤだなぁとか、不便だなぁとか、そんなことは常にあります。落ち込むことの多い毎日でした。でも「こんなはずじゃなかった」と思うことはありませんでした。もともと「こうなりたい!」という夢を持っていなかったので、外国ってこうなんだ‥でおしまい。理想がないから、挫折もない。
大きな目標に向かって歩くより、目の前の課題をひとつずつクリアしていく、それが私には合っていたように思います。
弟は日本の中学3年間の英語のみで、いきなりアメリカンスクールへ。
最初は何もかもうまくいかない私たち。父も、畑違いの仕事に英語を解さないスペイン人が相手です。毎日暗い顔をして帰宅していました。
弟が口をポカーンとあけ、うつろな目をして全く理解できない歴史の授業を受けるマネにどれだけ笑ったか。歴史の先生のマネも上手で、「ヒストリーやって」と何度もせがんだことを覚えています。
スポーツが得意で、中学ではバスケット部だった弟。ご縁のあった?歴史の先生に声をかけられ、アメリカンスクールでもバスケ部に。
そこからお友だちも増えたようでした。
音楽、スポーツなど、言葉ができなくても通じるものがあるのは大きかったと思います。
スマホとゲームが好きなうちの子どもたち。なにか見つかるかなぁ。。