弟と共にピアノを習っていました。
最初の手ほどきは「男の先生」と呼んでいた、専門は声楽の先生。その後ピアノ専攻の「女の先生」にバトンタッチ。男の先生の奥様でした。ユーモアのある、恰幅のいい男の先生、きれいでやさしい女の先生の指導に、私たちも機嫌よくピアノを弾いていたように思います。
私がやった曲を後から追いかける形で弾いていた弟。どんどん上達する弟を見て男の先生は、
「この子は音楽の才能がある。指揮者にしましょう!」
と母に話したそうです。
ところが‥
大好きだった先生たちとお別れする日がやってきました。
ご夫妻でイタリアに音楽留学することが決まり、女の先生の後輩であった、私たちにとって3番目になる先生の元に通うことになりました。
その頃のこと。母が出かける時は必ず
「ピアノの練習をしておきなさい」
と私たちに命じていました。ケンカも多い姉弟でしたが、こうなると結束。
「お姉ちゃん、やったことにしよう」
「そうだね」
意気投合。母の帰ってくる気配を感じると、さっとテレビを消し、ずっと練習していたような顔をしてピアノの前に座っていました。
今度の先生はとにかくキッチリされていて、生徒さんもみんな優秀。母はごまかせても、先生の耳には練習していないことはバレバレ。
レッスン中、ピアノを弾く私の耳には先生の深〜いため息が聞こえていました。
ある日の食卓で、先生は私の名前を呼んでくれたことがない、と話したことがありました。それを聞いていた弟。次回の私のレッスン中に、
「ほんとだ!先生はお姉ちゃんのこと、あなた、としか呼ばない!」
と大きな声で暴露。ただでさえ嫌われているのに‥と目の前が真っ暗になりました。
この事件後、先生は私のことを「アキコちゃん」とぎこちなく呼んでくれるようになりました。でも私はちっともうれしくはなく、弟に先生の話は一切しないと心に決めました。
前の先生に天才かも!と期待された弟でしたが、私の弾いていない曲が宿題になってからは、開花していた才能はすっかり影をひそめました。
先生は明らかに、先輩から託された「問題児生徒」の私たちに手を焼いていました。
当時の私はポーっとした性格で、わかんない‥が口ぐせ。この子には音楽の道がいいんじゃないかと考えた母は、先生に音楽学校の受験を相談しました。
即、断られました。そんな甘いものじゃないから、と。この親子はなんてこと言うのだろうとあきれていました。
仕方なく、また別の先生に変わることに。私の受験を引き受けてくれる先生、ということで探したのが4番目の先生。
几帳面で真面目な先生から今度は、
「ダチョウの首にしがみつき、アフリカの大草原を疾走するのが夢」
という、とても大らかな先生へ。
3番目の先生のお宅では、まず洗面所に直行。手を石けんでピカピカに洗ってからしかレッスン室に入れなかったくらい、ピアノは神聖なものでした。4番目の先生のお宅では、外で飼われている犬が自由にレッスン室に入ってくる、そんな180度違う教室。ピアノを弾く私の足元で昼寝をする、ちょっとクサイ犬。確か名前はクロ。
この先生の元で私は受験勉強をしたのでした。弟はクロを散歩に連れて行くのがメインのレッスン。
ピアノをやめたい、と言う弟。
この様子に母も
「指揮者はないな‥」と。
弟はレッスンをやめました。
私は小学生のとき、ピアノが大好き!と思っていませんでした。かと言ってやめたいと思ったことはなく、ピアノの練習は習っているんだから私のやるべきことなんだろうな‥くらいの気持ち。
縁があって始めたピアノ。こんな劣等生だった私が、ピアノを教えている現実‥
人生はわかりません。